海氷が生物生産にあたえる影響


            東京農業大学生物産業学部アクアバイオ学科  西野康人、中川至純、朝隈康司、塩本明弘、谷口 旭
                                                東京農業大学 谷口旭、塩本明弘、西野康人、朝隈康司

1 .はじめに
  オホーツク海は世界でも有数の漁業資源の豊かな海として知られる。この豊かな資源生物の背景には、それを支える一次生産者の存在がある。そしてこの事は表層への栄養塩の供給機構がオホーツク海には存在することを示唆している。 これまで、オホーツク海の生産性の高さは流氷が大きく関わっていると思われてきた。そして、この認識には大きな誤解が存在した。すなわち、オホーツク海の流氷は流入するアムール川の淡水が凍り流氷となり、その氷には様々な栄養塩が含有しており、それが日本のオホーツク沿岸域にたどりついて、栄養塩を供給していると思われてきた。いまだにこの誤解を信じている人々も多い。しかし、オホーツク海の流氷は、海水が凍った海氷なのである。アムール川の淡水が凍った物ではない。 では、オホーツク海の流氷、すなわち海氷は生物生産にどのような影響を与えているのだろうか?海水が凍るとき、凍結するのは水分のみで、そのため海氷中にはブラインと呼ばれる低温の高塩分水(高密度水)が生成される。このブラインが海氷から海水中に放出され、沈み込むことにより鉛直混合がおこる。この鉛直混合によりオホーツク海の表層へ中深層から栄養塩供給が行われている。また、ブラインが抜けた後に残された海氷中の隙間(ブラインポケット)にアイスアルジーと呼ばれる植物プランクトンを由来とする微細藻類が生息することになる。このように、海氷はブラインを放出することで海の鉛直混合を引き起こし、そして海氷中の隙間で生産活動を行なうといった、生物生産にプラスの影響をおよぼしているのである。淡水の氷ではブラインもブラインポケットも生成されず、生物生産にマイナスの影響となる。つまりオホーツク海の流氷は海氷であるがゆえ、豊かな生物生産がもたらされているのである。 その一方で、海氷と生物生産の関わりという側面での研究が進んでいないのも実情である。その要因のひとつに、オホーツク海の海氷は流氷であるということがあげられる。すなわち、冬季、オホーツク海を埋めつくす流氷の中での調査研究は困難であること、そして流氷は基本的に動いた状態にあるため、採集した流氷の履歴がわからないため、得られたデータの持つ意味の正確な解釈はきわめて困難である等の理由がある。しかし、オホーツク海の生態系および生物生産の評価を行なう上で、海氷が生物生産にもたらす意味の解明は必要不可欠である。 そこでわれわれが着目しているのは、定着氷である。定着氷はその場にとどまる氷である。定着した海氷の調査は、海水の生成期から融解崩壊期における生物生産におよぼす影響を明らかにできる。定着氷でのデータをもとにオホーツク海における海氷の影響も推定することが可能と考えられる。そこで、われわれは海氷の定着氷を生成する能取湖をフィールドとして、海氷と生物生産とのかかわりについて研究をすすめている。本稿では、これまで得られた結果のうち、海氷中と海水中のクロロフィル濃度の結果の一部を紹介する。
2.海氷中のクロロフィル濃度の推移
    採集した氷柱を上部、中央部、下部の3層に分け、それぞれのサイズ別クロロフィル濃度を図1に示す。 調査期間中、いずれも下部でもっとも高い濃度を示した。

その濃度は、2月6日では約 40 mgom3 であったものが、2月18, 29日の調査では 100 mgom3 以上の高い値を示した。その後、3月の調査では 30 mgom3 前後の値を示した。一方、氷柱の上部、中央部は、10 mgom3 をこえることはなかった。ただし、上部は雪が圧雪されできた雪氷であったが、いずれの調査でもクロロフィル濃度は中央部とほぼ同等の値を示した。このことはブラインチャンネルを通して、海水が浸透し、上部にまでアイスアルジーが進出したことが示唆する。またサイズ別クロロフィル濃度はいずれも 10 μm 以上の画分が優占しており、珪藻類が主たる構成種であったことが推測された。 調査期間中の氷柱の積算クロロフィル量の推移を図2に示す。
2月6日には、 2.4 mgom2 の値を示し、その後、海氷の成長にともない積算クロロフィル量は増加していき、2月29日には、 10.6 mgom2 と調査期間中最大の値を示した。しかし、3月10日には、氷の厚さは成長したものの積算クロロフィル量は、 1.6 mgom2 と激減した。3月18日には、 2.5 mgom2 と積算クロロフィル量はわずかに増加したものの低い値であった。この結果より、3月上旬に氷柱のアイスアルジーが、海中に放出されたことが示唆される。
3. 水柱のクロロフィル濃度の推移
調査期間中の水柱のサイズ別クロロフィル濃度を図3に示す。2月6日の結氷直後は全層では 0.5 mgom3 前後の値であり、低いクロロフィル濃度であったが、2月18日以降は表層で 3 mgom3 以上の濃度を示し、水深が深くなるにともない濃度は低くなった。しかし、3月18日になると5,10 m の中層でクロロフィル極大を示し、その濃度は 10 mgom3 前後と、春季ブルームに匹敵するほどの高濃度のクロロフィル濃度を示した。
サイズ別クロロフィル濃度は2月6日の全層で 2 μm 以下の画分が優占しており、2月18日でも表層で 2 μm 以下の画分が 2 mgom3 以上の濃度を示した。以降も 10 μm 以下の小さい画分は氷柱にくらべ高い濃度を示した。 水柱の積算クロロフィル量を図4に示す。2月6日は、 9.3 mgom2 と低い値であったが、以降は、 20-40 mgom2 前後の値を示し、結氷していない期間とほぼ同等の値を示した。また3月18日は、 119.1 mgom2 と春季ブルームに匹敵する高い値であった。

これまでの結果、海氷中ならびに海氷下の水柱でも微細藻類による活発な生産が行われていることが示唆された。このことは、海氷は海にフタをするのではなく、活性化させているということを示した結果である。